コロナウィルスの影響で皆さんの生活も少なからず影響を受けているのではないかと思います。影響の受け方は状況によりさまざまだと思いますが、愛する人を失ったり、その他つらい経験をされてる方も多いと思います。
わたしが経験したのは、コミュニケーションの量と質が低下してしまうとモチベーションが失われてゆくということでした。人はひとりでは生きていけないということを改めて痛感させられました。
さて今回は、今の時期に見た動画から感じたことも含め、心の話です。
目次
Angelina Jordan
音楽が好きなので、歌声を聞いただけで涙腺が緩んでしまいことも少なくないのですが、最近ものすごく感動したのが、Angelina Jordan(アンジェリーナ・ジョーダン)のこの動画です。
2020年のAmerica’s Got Talent: The Championsのセカンド・シーズンのオーディションです。この動画のリアクション動画が多数アップされていますが、自分と同じように涙している人もいました。
一言で言うと感動させる声、一瞬でその才能が分かる声。英語で才能のことをGift(神さまからの贈り物)と言いますが、アンジェリーナはまさにGifted Child(才能という贈り物を与えられた子)だと感じました。天才と呼ばれる人たちは、一般人がどれだけの時間をかけても到達できないことを、いとも簡単にこなしますよね。もちろん相当な努力もあると思いますが。
現在13歳の彼女は7歳の時にNorway’s Got Talent(ノルウェーのオーディション番組)で優勝しています。1回目のオーディションで歌ったビリー・ホリディのスタイルで歌ったGloomy Sundayも衝撃でした。AGTでのセミ・ファイナルとグランド・ファイナルも素晴らしく、どんな曲も自分の曲になっています。Jazzも素晴らしいのですが、ぜひいろいろなジャンルの歌を歌い続けてほしいものです。
家族は、父親がスウェーデン人、母親がノルウェー人、母方は、おばあちゃんはイタリア人のアーティスト、おじいちゃんは日本人という多国籍なミックス。そして妹が一人います。このAGTの動画で着ている衣装のデザインはこのおばあちゃんの作品のようです。
裸足で歌う理由
アンジェリーナはステージ上ではいつも裸足でパフォーマンスを行うのですが、なぜなのかをAGTのオーディション前のインタビューで答えていました。
アンジェリーナが6歳くらいの時の話ですが、お母さんとおばあちゃんと一緒にある通り(どこかアジアの国らしいです)を歩いていた時に、道行く人の体重を量って生計を立てていた小さな女の子を見かけ、その子に話しかけて友達になります。とても寒いのにその子は裸足で、おまけに足は傷だらけ。それでアンジェリーナは自分の靴をあげます。最初は断っていた女の子ですが、履いてみて靴というものにちょっと感動する。
アンジェリーナが「大きくなったら何になりたいの?」と聞くとその子は、「お医者さんになりたい」と答えます。でも両親が亡くなってしまい、(養わなければならない)兄弟たちもいるのでそれは無理だと言います。(両親を失ってしまったからそんな夢があったのかもしれませんね)そしてアンジェリーナの夢は何?と聞き返します。
“I want to be a superstar and sing for the whole world.”
スーパースターになって世界中の人のために歌いたい。“I’m going to pray for you.”
Angelina Jordan, Angelina Jordan Pre-show Interview AGT The Champions 2 2020
じゃあアンジェリーナのためにお祈りしてあげる。
そんなやりとりがあり、アンジェリーナは裸足でステージに立つようになったそうなのですが、裸足になることで世界中にいる、両親がいない子たちや、衣服や靴のない子たちのことを思い出すそうです。
とてもすてきな話ですが、インタビュー全体を通してアンジェリーナの心の美しさが伝わってくるそんな動画でもありました。
心が表現に及ぼす影響
このインタビューや他のインタビューを見た後に、アンジェリーナの表現力と心の美しさは無関係ではないのかも、と思うようになりました。
この感覚は、盲目のピアニストである辻井伸行さんの演奏を聞いても感じたことです。心がきれいな方で、ピアノから紡ぎ出される音も同じように美しい。盲目だから心が美しくなるわけでもないですし、ハンディキャップや自分の境遇を嘆くこともできると思います。でも辻井さんの場合は、才能を見出され、美しい心を持つ人たちに支えられ、優れた教師がいて、才能を伸ばす環境も整っていた。そんな条件がすべてそろっていたので、奇跡のようなピアニストになれたのだと思います。
きっとアンジェリーナもそうでしょう。家族もすばらしいのだと思います。才能があっても見出されなかったり、開花しなかったりということは多いと思いますし、仮に見出されたとしても、心の美しさを守っていくのは相当難しい、それが現実だと思います。
少し脱線
辻井さんのことは、彼が子供の頃からニュースなどで取り上げられる度に見ていて、将来を期待していました。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した時も驚きでしたが、現在のピアニストとしての表現力にも驚かされます。特にオーケストラとの共演時のピアニストと指揮者とのコミュニケーションなど、盲目であることは相当なハンディキャップだと思うのですが、あるインタビューで、(コミュニケーションやタイミングは)「気配でわかる」と言っておられたのにも驚きました。楽譜を介さず大量の曲を記憶する能力もそうですが、人間のポテンシャルにも驚かされます。
脱線終わり
それで心が美しければそれが必ず表現に反映されるというものでもないと思いますが、それは可能なんだな思います。
ZOOM疲れが指摘されていますが、その原因の一つとして、非言語コミニケーション(non-verbal communication)の欠如があります。つまり、普段のわたしたちは言葉以外でもコミュニケーションを取っているわけですが、ZOOMではそれが欠如してしまうので、コミュニケーションがいつものように取れず疲れてしまう、ということです。例えばZOOMの画面に写っている人とアイコンタクトを取ることはできないですよね。ウェブカメラを見れば画面は見れないですし、逆も同じ。
まとめ
と考えると、言葉以外のコミュニケーションの役割というものは結構大きいのかもしれません。美しい心というのは言葉でも表現できれば、言葉以外のコミュニケーションにも表せますよね。もちろん、心の中にあるものをコミュニケーションに変換するスキルは必要かもしれません。でも、心をきれいに保つのはやはりとても大切なことだと思います。自分の周りにいる人を幸せにできますからね。
流暢な言語能力もすてきですが、美しい心は言葉のつたなさを超えてわたしたちのコミュニケーションを助けてくれるのではないでしょうか。